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私は、2007に沖国大に来て三週間の研修した。その時、平和祈念公園へ行った。平和祈念資料館で、沖縄のことや、戦争時の写真などを見た。しかし、その時に、沖縄は日本の一部分で、日本は、先に真珠湾を攻撃したから、アメリカの反撃も当然だと思っていた。ですから、その平和資料館中の雰囲気は「私たちは被害者だ」ということをちょっと理解できなかった。
 
そして、台湾へ帰って、沖縄のことをすごし勉強して、沖縄についてのことをもっと分かってきた。沖縄は、台湾と似てるのような気がする。

 
沖縄の歴史を勉強して、昨日の慰霊の日を見て、壕も初めて入った。黒く、滑々した壕の中で、一生懸命に六十四年前の様子を想像したけど、どうしてもできなかった。想像した戦争時の怖さが、たぶん、百分之一も足りなかった。戦争を体験した世代ではないわけだ。

もし、戦争を経った世代が話したくないなら、戦争の怖さを体験しなかった私たちの世代は、おそらく段々戦争の怖さを忘れ、戦争の歴史を繰り返してしまう。
 
新聞に載せる沖縄人にインタビューした記事を読んで、戦争を体験した世代の人々が、沖縄戦の歴史を若い者に伝える責任を認識しているということを深く感じられた。
台湾には、ニニ八事件も残酷な歴史だけと、何十年間で、ニニ八事件はタブーになった。誰でも話せないタブーだ。戒厳した後、その歴史を知っている人々は死んだり、話したくなったりした(このタブーを話す恐怖の念を抱く)。ですから、大勢の若い者は、ただニニ八事件を知っている(教科書に載せているから)けど、あまり本気に考えない人がたくさんおり、ニニ八事件という話にはもう飽きた人もいる。ということで、台湾出身の私は、沖縄の人々が歴史を伝える責任を持つことを羨ましいと思っている。
 

「平和」が一体なんだろうかと、私は初めて平和祈念公園へ行った時から、時々考えている。戦争は時代の流れだから、しょうがない。しかし、今の時代で生きている我々は「戦争がない」が平和だと思われたら、平和を理解すると言えない。

沖縄戦の時、戦争の怖さ以外に、偏見も哀しく怖いものだと思う。日本軍から沖縄住民に対する差別意識(「チャンコロ」など)を持ち、アメリカ軍も沖縄住民がスパイを疑った。「戦争がない」戦後ても新しい偏見を生じた。例えば、戦後に、宜野湾にある米軍基地があるので、宜野湾に住民はスパイと思われたことや、アメラジアンへの偏見や問題などは、すべて平和ではないと思う。
 
今の世界中、やはり戦争が続けている地域がある。ですから、戦争がない地域にいる人々は、無意識に「自分が平和な環境で生きている」という錯覚に陥りやすい、身の周りの差別意識や自分の中にある何かへの偏見などを気がつかない。そういう状態にして生きていると、世界中にたくさん問題を生じるや、大勢で偏見を集まると、また戦争を発生の可能性が強くなる。

したがって、戦争がない地域で生きている私たちは、自分の中や身の周りの不公平や差別を気がつかないなら、平和を理解すると言えない。

怖い戦争と人々の心にある偏見は段々なくなる世界は、本当に平和に向ける世界だと言える。

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